ヒトカタリをはじめた理由

“つながり”の中で育てられた子ども時代


想いの原点は、幼少期に遡ります。
わたしは3弟妹の歳の離れた長女として生まれました。

  • 幼稚園のお見送りができない母の代わりに、お友だちが連れて行ってくれた
  • 実家に弟妹のお友だち家族がよく遊びに来ていて親御さんの輪に混じり、お話しを聞いてもらった
  • 実家を小さな舞台にし演出家となって弟妹・地域の友だちを巻き込み小さな発表会を頻繁に創作した
  • 地元のスポーツチームの監督が、親のように叱ってくれた
  • 14歳から親元離れて寄宿舎で4年間暮らしたこと
  • 大学時代も各地でシェアハウスをしたこと


血の繋がる家族だけでなく、おともだちや地域の方、心を交わす温かなつながりのなかで、
たくさんの人に育ててもらいました。

幼少期は、衣・食・住自然派な生活スタイルの家庭環境で育ち、

中学は親の勧めでシュタイナー中学へ(オルタナティブスクール)通いました。

自然や芸術に触れ、五感で楽しむ学校生活を送るものの
当時は、周りに同じような環境の人に出会えず、地元の中で浮いた存在になり、
『普通になりたい』『ありのままでいたい』という葛藤の中で思春期を過ごしました。

この葛藤に何度も押しつぶされそうになっていた私を、「素直な等身大の自分でいいんだよ」と
自然にもどしてくれたのは、
紛れもなく旅の歩みのなかで出会ってくださった皆さんです。

改めてここで伝えさせてください。いつも、ありがとうございます。

自分の言葉にしてこなかった想いが溢れた出来事


心からわくわくした“場”へ冒険を繰り返しているうちに、2020年1月。
ある1人の女の子を連れて「わたしが大好き!!」と思った地域のおじさんのいるところに
一緒にいくことになりました。

暖かなこたつにぬくぬくと入り集った皆んなとごはんをいただく中で、
女の子はキラキラと目を輝かせて話すおじさんの姿に目が離せなくなりました。

\前向き。謙虚。毎日が楽しい。青春してる。ありのままのおじさん。永遠に自分の想いを喋っている。/

話している姿が眩しすぎて、私もそうなりたい。自分の想いをヒトにカタリたい….!
と思って彼女はやっと口を開きました。

「聴いてくれた…!」

話しているうちに、自分の言葉にしてこなかった想いが溢れて、
涙がこぼれながら心の声を声にしました。

その時の体験から生まれたヒトカタリ®


そんな体験から、女の子や集った仲間と、心を交わし、
自分のココロをまっすぐ語りあう場所として

「ヒトとじっくり素直にカタルことで自分の心の声を聴く」
「一つのことをじっくり素直にカタル」
=ヒトカタリ®を一緒につくりました。

うまく話そうとしなくていい、聞いているだけでもいい
じんわり心があったかくなる場所です。

その後、女の子は渡り鳥のつばめのように、ヒトカタリする自分の心をだいじに
わくわくする方角へと旅立ちました。

私はこれからも、地球の生命とつながる冒険の旅へと出かけます。
そして、私たちを含めた地球で暮らす生態系が輝きへと向かっていく
場づくりや活動を続けていきます。

心を交わす暖かなつながりの中で、たくさんの人に育んでもらったように、
今度は私が、未来の子どもたちの笑顔が溢れる暮らしを描いていきます。